離婚して発達障害児と2人でがんばることにした

主に育児とこれから先の事を考えてまとめる

発達障害、育児 で検索すると出てくるものは大きく2つに分類される。

 

1つは自身が今苦しんでいる、愚痴を聞いて欲しい、助けて欲しい等、本人が救いを求めているもの。

もう一つは、迷惑、いなくなって欲しい、と言った攻撃型のものだ。

 

多くの文を読んで気付いたのは、当事者にしか解らないということ。

どれだけネットや知人の経験を見聞きしても、経験していない人は全く理解していないのだ。

 

だが多くの場合、知恵袋などでは未経験者の知ったかぶりを読まされる事になる。

そこには失望と絶望しかない。

うっかり相談などしたら暇人の攻撃対象になるだけだ。

 

発達障害は遺伝する。

発達障害は親も発達障害

存在が迷惑。

 

いわれ慣れてます。

 

おそらくそうでしょう

私も8才の時にIQテスト受けさせられました。

結果は135でした。天才より低いです。

たかだか8歳児だよ。ほっとけよ。って思いました。

 

でもその数字を学校の先生は教室でみんなに暴露しました。

 

あの日のことは忘れない。

 

友達消えたしね。

 

私が狂っているから娘が狂ったのでしょう。

 

でもね、私の家系には、犯罪者も自殺者も1人もいないのですよ。

 

他人に迷惑かけて生きてるのは出産後だけです。

 

旦那と子どもにバカ死ねいわれ続けてるから、自分が結構成績良かったことすっかり忘れていました。

すんごいダメ人間って思い込んで生きてます。今。

 

生きるのが辛くて何も感じなくなってきた。

 

他にもある。

 

他人の声を記憶しているのだ。

 

テレビで声を聴くと

「●●のCMの歌と同じ人」

「●●アニメの●●と同じ人」

と声を当てるのだ。

 

他にも、テレビのクイズ番組などはよく当てる。

一度、まだ習っていない漢字を言い当てたので、「よく知ってるね」と褒めると、

慌てて「知らない。ぐうぜん」ととぼけるのだ。

 

普通は褒められたら嬉しいはずなのに、どうして知っていることを隠そうとするのか、不思議だった。

 

 

最初に気付いたのは、娘が4才になった頃だった。

 

子どもを遊ばせる有料施設に入れた際に、娘は

知らない赤ちゃんの頭を踏んだ。

 

恐怖で震えたが、本心はかくして娘に理由を聞いた。

すると

「忘れた」

と答えたのだ。

 

以降、娘の動向を監視する生活が続いた。

 

いつも「他人なんだから死んでも良いじゃん」と言う。

 

思いやりの心が微塵も無いのだ。

 

それからは戦いの日々だった。

療育を受けさせるためにあらゆる場所へ相談しにいった。

発達相談へもいった。

 

先生は、

「こんなにちゃんとした子は初めてですよ」

「しっかりしている」

と言う。

 

でも私の身体はDVでボロボロですとは言えなかった。

 

いつもそうだ。

後になって「私の悪口言ったでしょ」といいながらキレるのだ。

娘は私を監視している。

連絡帳にはなるべく難しい感じを使用して、子どもには読めないように書いてきたつもりだったが、娘には読めていたのだろう。

 

私の父の葬儀では、驚くほど美しい所作で正座し、両手を畳についてお辞儀をした。

誰が見てもびっくりするくらい礼儀正しい子なのだ。

 

頭も良い。

近所の土地勘がない私が渋滞に困っていると、「●●の看板の所を曲がる」と指示をくれる。

そうすると目的地に早く着くのだ。

いつの間にか道を記憶しているのだ。

 

道路標識などは私よりも正確に記憶している。

 

「ママがバカなんだよ」といわれるが、きっとそうだろう。

 

大きな病院でIQテストを受けさせた事があったのだが、思ったより低かった。

まともな頭だったと安心したが、1つだけ気になる点があった。

 

興味が無いテスト内容だったらやらない子なのだ。

 

確かに暗算などは不得意ではある。

だが、囲碁などはもう攻撃力だけなら私を上回る強さなのだ。

 

何かの戦いや、対人間、しかも相手を倒すゲームやテストだったらどんな結果だっただろうと思う。

 

うまく説明できないが、常に2,3手先を見据えた会話を常にする子供なのだ。

だから思い通りの返事が無いと相手を倒そうとする。

 

人間は狩りの対象なのだろうか。

時々外で仲の良い親子を見ると泣きたくなる。

 

私が悪いから子どもがまともに育たない。

親がちゃんと躾していないから子どもがバカ。

 

幻聴だろうか。

 

いつも他人の悪口を聞かされてきた。

 

誰々が意地悪する。

みんな私の事を嫌う。

 

本当の事を話しているのか、それとも嘘か全く解らない。

 

でも信じてここまでやってきた。

 

娘は私が頑張って抗議した後にこう言う。

「嘘付いたって言ったら怒らない?」

 

落とし穴は深く大きい。

 

ダメージがでかくてもう何も感じなくなってきた。

 

叱ってはいけないのだろうか。

怒ったら私は親失格なのだろうか。

 

娘は言う「虐待ババア」

 

父親に「ママが何も買ってくれないから服が無いの」と言って、服を買ってもらって帰ってきた。

同じ会話がもう何度かわされただろう

「今月はもう2回も買ったよ。合計で5着かったよ。どうして嘘付くの?」

 

「クソばばあ死ね」まあそう言うよね。いつも。

 

バッグが破れたからミシンで縫って使おうとしたら「びんぼー」と言われた。

 

私は何をしているのだろうか。

 

「ママもたまには服買っても良いよ」

と言われた。私の給料なのに。なぜだろう。

 

具合が悪くて倒れると蹴られる。

足の指を踏まれる。

うっかりうたた寝すると怒鳴られる。

「もう25分も寝てたよ」「世話しろよ」

 

多分そのうち殺される。

 

解っている。

 

私はサイコパスを育てている。

ようやく旦那との話し合いが終了した。

 

養育費はぎりぎり。

私が市から援助をもらえなくなる丁度の額。

頭良いな。

 

娘と同じ、とことん相手を潰そうとするのは血なんだろうか。

 

必死に働くしか無い。

生きるのは辛いが、死ぬのが怖いのだ。

 

生きるのがしんどい。

ドンキホーテで注射器とチューブを購入し、限界が来たら自分の腕に刺して車の中で死のうと決心した。

 

笑われても良い。

死んだらきっともう何も感じなくなる。

 

でも怖いから死ねない。ダメな人間だ。

だからDVにあうんだろうな。

 

引っ越しが終わってやっと一息ついた頃、娘のかんしゃくが爆発した。

 

発達障害児は環境の変化に弱いのだ。

引っ越しなど特に注意を払う必要がある。

だから隣の駅に引っ越した。

学校もそのまま同じ環境を整えた。

 

それでも家の構造やちょっとした違いを受け入れるまで2ヶ月間切れ続けた。

 

私の両手は傷だらけになった。

娘は私の腕に爪を立てて血が出るまで握りしめて「死ねクソばばあ」と言い続けた。

 

エクソシストリンダ・ブレアにそっくりだった。

 

愛する我が子とか言うけど、殺されるかも知れないという恐怖の方が強かった。

合気道を4年も続けている娘は、急所を的確につかむのだ。

手首がしびれて動かない日もあった。

 

キレだしたら1,2時間は続く。

ただ蹴られ殴られ続けるのだ。

いろんな方法を試したが、結局治らなかった。

私がバカだから上手くいかないのだろう。

 

子宮筋腫の位置にけりを入れられると出血が止まらなくなる。

今も11日間連続で出血している。

胃の上部に蹴りを入れられると、喉の奥がつぶれるような感覚になる。

初めて知った。

 

時には苦しくて涙が止まらない日もあった。

娘は私の姿を見て「みっともねえババア」「死ね」と連呼する。

 

本当に嬉しそうだ。

 

私の動きが止まると「優しくして」「ぶたないで」と叫び、まるで私が虐待しているかのように振る舞う。

だから私は絶対に助からないのだ。

何があってもそれは私が悪いのだ。

 

そうやって人を殺そうとする人間がいることを私は知っている。

 

学校でいじめにあっている人の気持ちがよくわかった。

 

救いが無いのだ。

絶望しかない。

 

引っ越し先の安アパートは音が筒抜けで、私たち親子は邪魔者になった。

 

お金が無い。次の場所などあるはずも無かった。

家を出て行くことにした。

 

丁度よかったのだ。

 

エコキュートの水道代が高く付くことを調べもせずに、水道代が高いと怒られる毎日から解放されたかった。

水すら使わせてもらえない。

オール電化だから電気代が高いと言われる。

長時間電気を使う料理は全て諦めた。

電子レンジで柔らかくした野菜をさっと煮たり、シチューは弱火にしないで予熱で調理する。そんな生活がずっと続いた。

子どもの給食費を払ってくれと言っただけで「死ね」と言われる暮らしがこのまま続くのは地獄だ。

仕事をしながら発達障害児を育て、療育を受けさせ、いろんな病院へ連れて行き、いつも周りに謝りながら暮らす事の辛さだけで十分だった。

 

もう「水使うな」とか聞きたくなかった。

 

仕事を辞めて育児に専念したいと言っただけで「楽しやがって」とののしられて暮らすのはもう限界だった。

 

旦那は私の給料が手取り17万だと知っていた。

だから家を出て行けないと思っていたのだろう。

自分のもの全て諦めて貯金した。

 

私の3倍も給料もらっているのに外で酒飲んで気前よくおごっているのかと思ったら許せなくなった。

 

地味な貯蓄だった。本当に。

美容院へは1年に1回。カットだけ。

化粧品は全て安物に替えた。100均とか。

シャンプーも安物にした。

 

肌も髪もボロボロになった。

それでも良かった。

 

昼食はガマンした。子どもの残り物を食べて暮らした。

発達障害児はすぐにキレるので、お菓子や食べ物に対するこだわりが凄い。

だから大量に余る日がある。

 

それらを冷凍して食べた。

 

別に辛くなかった。

惨めとも思わなかった。

貯金ができると、ただそれだけを思って暮らした。